Germany

東ドイツの想い出🇩🇪

ハロー!ドイツ・ハンブルク在住のユキです。

(初めましての方へ。自己紹介はコチラです🧏🏻‍♀️)

先日オットさん(🇨🇭主人)がベルリンにお仕事で行っていました。

ミーティングは午後からだったので、それまでの時間でベルリン市内で引越し先として気になるエリアを実際に見てきてもらいました。

(🧏🏻‍♀️我が家は来年ハンブルクからベルリンに引越す予定なのです。詳細はドイツの日常🇩🇪夫からの告知でご覧くださいませ。)

西のベルリンと東のベルリン

帰宅したオットさんから撮影した町の写真を見せてもらい、歩いて見た感じを聞きながら気になったのは「ここは旧東側で…。こっちは旧西側で…。」という言葉です。

皆さんご存じのとおり、ベルリンは1989年まで東と西に分かれていました。

正確にはベルリンが東ドイツの中に存在し、西ベルリンの周囲を壁が取り囲んでいたんです。

壁が崩壊したのはそれほど大昔ではないので、今でもベルリン市内を歩くと旧東側は冷たい殺風景な建物ですぐにわかります。

(私はその建物の佇まいがユニークで逆にステキだなとも思いますが!)

今や有名な観光スポットの『チェックポイントチャーリー』※(Checkpoint Charlie)あたりで街歩きすると建物の雰囲気の違いが感じられると思います。

※Checkpoint Charlieは、ベルリンが東西に分かれていた時代にあった境界線の唯一の国境検問所です。

ブランデンブルク門

マルコの思い出

私がニュージーランドに住んでいた時に、マルコというドイツ人の友達がいました。👱🏻‍♂️🇩🇪

彼は私より少し年上で、友達の間でも頼りになるアニキ分といった感じでした。

ある日、私がマルコの故郷について聞いたところ、彼は東ドイツ出身とのこと。しかも、壁が崩壊したのはマルコがもうかなり成長したときで、東西分かれていた頃のことをしっかりと覚えていると言うじゃないですか!

周りにいた皆が興味津々で彼の思い出話に聞き入りました。

たくさんのお話を聞いたんですが、特に覚えているのが…

朝、玄関のドアを開けると空腹で立っていられないソビエト兵がポーチに座り込んでいた。

マルコの家族は決して裕福ではなかったけれど、哀れに思ったマルコのママが食事を用意して、そのソビエト兵に食べさせてあげた。

そんなことがあったそう。

表現の自由が許されなかったことについては、

👱🏻‍♂️「韓国と北朝鮮みたいなもんだよ。東側は北朝鮮に住んでるみたいな不自由さがあったんだ。どこにも行けないしね。」

また別の日、マルコはみんなにケーキを焼いてふるまってくれました。

贅沢な材料や海外からの食材は手に入らなかった時代の、素朴でシンプルな「Omaのケーキ」でした。

Omaはドイツ語でおばあちゃんの意味です。

(🧏🏻‍♀️この言葉はこの時に覚えました!)

ママの夢

東ドイツに閉じ込められていたマルコのママですが、マルコが生まれたときに

👱🏻「この子には世界を見てほしい。

  自由に世界中を旅してもらいたい!」

という希望を託して「マルコ」と名付けました。マルコポーロから名前を取って。

私はこのお話を聞きながら・・・

・・・泣いたもんね。号泣。😭💦💦💦

今やマルコポーロすら到達しなかったニュージーランドにいるマルコ!

ママ、やったね!

私が涙をぬぐいながら

🧏🏻‍♀️「ええ話や~。それで、ママは今ドイツにいるの?」

と聞くと

👱🏻‍♂️「NO WAY! 彼女はずーっと旅行しまくってるよ!ノンストップだ!実際、来週はニュージーランドにボクに会いに来るんだ。」

ですって!

その翌週はマルコを見ることはありませんでした。

ニュージーランドをママと一緒に周遊してたそうですよ❤️

ベルリンの壁については、多くの人が命を落としたり、スパイ映画で取り扱われたり、悲しくて暗い話を聞くことが本当に多くて…。

マルコ親子も当時は大変だったけれど、こんな素敵な未来が待っていたなんて。そして、こんなお話を聞くことができて、私も幸せです。

毎度のことですが、今回も話がまとまらず。

お付き合いいただきありがとうございました。素敵な1日を❤️ ユキ

See you soon! Yuki

東ドイツの想い出🇩🇪

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ドイツ在住のユキです。スイス人の彼と息子とのドイツでの暮らしや、実家のあるスイスの情報・旅の記録を綴ります。

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